コピーされるコンテンツと食い扶持
Winny開発者無罪確定やらその日のうちに自炊業者を訴えたりやら。
コピーやらの問題はあるし何とかする必要はあるけど、まずは前提条件の検査は必要だと思う。
現在のところ自炊業者提訴は完全に政治的パフォーマンスと見ているけど、それが何かまずい扉を開くかもしれない。
大多数はコピーが封じられたら単に離れる
結構見逃されがちなところとして、圧倒的多数のコンテンツは生活必需品ではないという点がある。コピーを潰すとコンテンツ無しでは死んでしまうので買うようになる、などというシナリオはまあ、ない。
可処分所得のうち月に5万円がコンテンツに回るとして(実はこのレベルで議論を打ち切られかねない楽観だが)5000円を得るにはその1/10を奪わないといけない。2500円でも1/20。これをアニメ漫画小説映画音楽ゲームもろもろの全てのジャンル、全ての作品からもぎ取るわけだ。
この時点でまともな感覚なら「じゃあ買うようにするよ」はまず想定しないはずだが…ともかく続けよう。
価値はいかほどか
素人投稿型とも言える形式はYoutubeどころか広告付き無料ホームページの時代から萌芽が見え始め、今や動画サイトで自分の好きなジャンルのオススメを見るだけで週末くらいはあっさり潰せる、というか全部見るとか物理的に無理だし。
ともあれ、お金だけじゃなく1日が24時間しかないという物理法則から定義されるように時間とも戦わないといけないという事を意味する。空き時間6時間のうち3時間を無料コンテンツなりに奪われたら、残りは3時間までしかとれない。
この「何を奪い合っているか」の認識を間違える致命傷になる恐れが高い、コンテンツ業界に限らず。
さて、お金を貰えるコンテンツはレベルの高さであるわけで、例えば一定の査読を潜り抜けた専門書なんかは早さで見劣りする点を承知であれば十分紙ベースであれ戦える。最右翼のオライリーが電子書籍に積極的なのはそこに自信があるからだろう。
話は終わらない。このレベルの高さは「支払った時間とお金と時に労力(ゲームとか!)にどれだけ見合うか」だ。場合によっては工業的な観点での品質向上が全く結びつかない事すらある。
直接的にコピーとは関係ないものの、「何が時に分析の役立たずになるか」は何となく見えると思う。
パイ切り
いよいよ本題だ。この手の議論で疑問に思うのが、市場にいるプレイヤー(会社や作家)が多すぎるという視点がタブーになっているところだ。
例えばとして駄目な環境を考えよう。ゲーム市場が1600億円で何かの理由で1万社が存在。潰れる会社が山ほど出たとして、まずは会社が多すぎだという話になるはずだ。まあ、そこまでの数がいるのにその市場規模なら普通は天変地異でもあったんだろうと考えるが。
ただ、これを極論とした場合に逆の問いとしてどの程度が適切なのかという疑問がやはり浮かぶ。
本来利益の話で出るのは毎回何故か「コピーされた分が全て購入された」という珍妙な仮定だけだ。一体、コンテンツ産業の真の姿は今、どうなっているのだろう。
ライフスタイルやユーザー側のニーズとしての支払額、消費する時間、そういった視点からの説得力のある説がなかなか出てこない。
鉱山の採掘権を奪い合っているが、鉱脈の調査がされていない感覚。
コピーの違法性やらは法律論でやればよろしい。法が時代遅れならばまずはそこを変えろという立場なので。
ただ、法とは別に「欲しいだけ、埋まっている」かどうかは考えないといけない。定年まで言い訳を考え続けるお仕事の人はそんなものだろうけど、そんな態度だと逃げ切れなければ死ぬ。
蛇足:お礼は3行以上
ところで、違法なコピーコンテンツに手を出さない、減る理由はなんだろうか。
コンテンツ自体に飽きたのは別として、やはりアングラの面倒くささやウィルスなどのリスクを天秤にかけるのが多いんじゃないかと思う。
手段と目的が逆になってる人はともかく、100円のコンテンツを落とすのに20時間かけて検出をすり抜けるウィルスのリスクがあるとか、まあ大抵はやらないだろう。そういった意味で、値下げは「答の一つ」ではあると思う。
ただ、今なんとなく恐ろしく思うのが「コンテンツには金を払わないのが普通」とまで意識が固まっていた場合。他人事ではなく、こうなると自分の仕事にどう価値を見出してもらうかが…。