ミストボーン(全9巻、シリーズ3部作)
- タイトル:ミストボーン―霧の落とし子〈1〉灰色の帝国
- 著者:ブランドン サンダースン (著), Brandon Sanderson (原著), 金子 司 (翻訳)
- 出版社:早川書房
- 形態・レーベル:ハヤカワ文庫FT
- 価格:¥861+税
- 発売日:2009/5/5
読了。
傑作である。色が合うならば迷わず買って何らの問題もない。
陰鬱な降灰が続く灰色の都市。夜になれば霧が全てを覆い隠し、揺るがぬ不死の千年王の抑圧が続く。
そんなある日、下層民の盗賊である主人公の少女は、反逆を企てる謎の男に見い出され…。
王道の始まり方をし、金属を体内で燃焼することで燃やした金属に対応した力を得る異能力など、つかみは十分。そういった物を期待してとりあえず第一部だけ読んでも良いだろう。
だがその真価は、徹底して終わりから作り上げられた極めて緻密な設定の開示と、各キャラクターが自身の生き方を決定して世界を変えていく第二部以降。
途中で退場する者が、最後まで完走した者が、死してなお物語を走らせた者がいる。群像劇と言うには使い捨てられた名前は少なめだが、間違いなく個々のキャラクターによって編み上げられた話だ。
また、「設定厨」としての重心が世界設定側にあるならば文句なくおすすめできる。
以後、直接的なネタバレは避けるが(あまりにももったいないのだ)、察しの良い人はいくばくかの真相に辿り着いてしまうだろう。
異能力ものとして
まずは基本的な設定をおさらいしておこう。
この世界には、特定の金属を体内に取り込んで燃焼させ、合金術と呼ばれる異能力を発揮する人種がいる。通常は一人一能力のみ、ごく稀に全能力を使える者がいるが、強力さ故にほとんどがその正体を隠している。
現在は4種の能力それぞれに一対の能力…要は8種の能力が知られている。
金属の引き寄せと押し出し、感覚の増強と肉体の増強、他者の感情の増幅と減衰、合金術行使の察知と隠蔽。
手札としてはシンプルな部類だろう。
能力そのものに関してはほとんど字面以上の物はなし、最後までそれを行使する人物の地金が勝敗を決していく。
いわゆる能力バトルでの解釈による死角からのジャイアントキリング要素ではなく、個人の技能、剣術や語学などの位置づけに近い。(※1)
(※1)
逆説的に、非常にプレーンに…解釈によるブレなしで…世界の秘密に繋げることができている。
技能と言えば主人公の筆跡の美しさについては直接の言及がなく、周囲の反応から察せられるようになっている点が面白かった。意味を邪推するならば「発音がきれい」というところか。
群像劇の担い手たち
「一人一能力」で察しの良い人は気づくと思うが、登場するキャラクター数はやや多めになる。書き分けはきちんとできているし、同時に多くフォーカスを当てすぎないように気を配っている感はあるが、それほど読み慣れていない場合には序盤にいくらかの重さを感じるかもしれない。
キャラクターは「世界に関わり、変化あるいは成長し、世界を変えていく存在」として明確に描かれていく。
特に、千年王国への反逆から始まり、他の権力者や自勢力内のとりまとめの苦難の道を通し「王とは何か」へと到達する部分は物語の背骨の一つと言える。
愚直さはあれど愚鈍ではないという微妙なさじ加減。実際、理想主義を通り越した単なる甘さ、不覚悟から出る弱気な態度を作中で叩き直されて行く点は爽快ですらある。
また、人間的な部分は「他者とのつながり」が前面に出た形となっている。主人公は最後まで出自と兄との関わりのトゲを完全に抜くには至らない。身の置き場を制御し、ある意味では最も生への義務感を持つ従者は大切なものを永久に失って初めて、大切なものが自身にあったと気付く。
偶像化された英雄に惹かれたが故に道を誤る者、主人公との険悪な関係から出発して、命よりも重い種族の盟約をついに捨てて新しい時代を吠え猛るもの。
繰り返しになるが、キャラクターは成長であれそれ以外であれ変わるものであり、その変化は世界を変えていく。単に欲しい出来事のために配置したような白々しさがないのはこの点もあるだろう。
世界、あるいは読み解くべき秘蹟
世界設定はどう表現しても凶悪なネタバレになるので具体的には伏せる。
スケールの大きさもさることながら、巻を追うごとに「ここまで来れば真実の底に到達しただろう」という予想は裏切られ、更なる深みが姿を現す。
作中での真実…なぜ、世界はこんな姿をしているのだろうか?に到達したとき同時に、なぜ、象徴的に何度も大量の歴史書、言伝のメモ、美しい筆跡といった場面が存在していたのかを知るだろう。
世界、あるいは関わるべき困難
容赦ない世界の話で手心を加えない進行となっており、先進的な思想は敵対する者を減らすにも苦労する有様で、食糧問題から戦争、賃金の支払いまであらゆる俗世の問題が列を組んで殴りこんでくる。
一方では、けちな盗賊から歴史の舞台に上げさせられて、全方位からそういった完全に未知の問題がもたらされる最も導き手が必要な時に誰も教師となりえず、ついには最強の短剣の面と人を愛する自身の両面を了解するに至らされる運命が描かれる。
…自身の気持ちなど誰が確信を持てるだろうか? 人を本当に愛せるかなど。
各キャラクターの関係も順風満帆には行かない。味方であるはずの誰かも、傷心から離れ、あるいは感情から良好な関係を築けない…。
個々人だけではない。
素晴らしい平等と繁栄へとつながる知恵を示せば愚民は感謝して従い、それを妨げる要素を順に排除すれば高みに至る、などという舐め切った啓蒙もどきの話は全くない。
臣下とも分け隔てなく付き合い個人の魅力をもって嘆願と自由意思で行動させる行為は、ただの無責任であると喝破される。
自ら打ち立てた法が自らの枷となり、歩き始めたばかりの脆い制度を破壊するか、退場するかの二択を迫られ…どちらを選んでも結局は誰かから非難を受ける。
そういった「配られたカス札混じりの手札で勝負するしかない」点と「誰もが自分が正しいと思って選択する」現実から逃げずに世界を作っている点が本当の容赦のなさとも言える。
そして神話へ
そうして苦難へと至る道を歩み、たどり着く結末。
苦さがないとはとても言えない。だが、誰もが死力を尽くしてそこに至ったということは納得できる。
あまりにも、「欲しい場面」へと特化しすぎて「大きな力が設定した謎のゲームステージ」的な展開に飽いているならば、あるいは民衆という言葉のみで表現される世界に不満を覚えたなら。
もしくは、練り上げられた世界設定とプロットを求めるならば、ともかく読んでみる価値はある。
補足
一つの特徴として、千年支配制の後を検討する土台が膨大な過去の歴史書を読み漁ったことにも立脚している事がある。若いキャラクターにこういう方向を持たせるのは面白い。
突出した個人の先進的な思想とカリスマが全てを変えるという方向ではなく、ある意味では凡人が、歴史から検討した体制を実現するべく同盟を結び、帝王学を学んで自身を作り替える。副作用として中盤やや進行が遅くなる点はあるが。
(実は出版した直後に読んでいたのだが、長らく感想を書かなかった。非常に好みでありすぎた…というか文を書いていてあまりにも色が出過ぎていると痛感した…のもそうだが、自然ともっとメジャーになると思っていたからなのだが…うーむ)